傘において最も道具らしい、機能的なパーツである「骨」についてまとめてみました。
「骨」といっても、生地と接する親骨の数や形、折りたためるタイプかどうか、素材による丈夫さや軽さなど様々な違いがあり、その傘がどのような傘であるかを決めている最も大きな要素です。英語では「ribs(親骨)」または「frame(全体)」と呼ばれています。
傘において最も道具らしい、機能的なパーツである「骨」についてまとめてみました。
「骨」といっても、生地と接する親骨の数や形、折りたためるタイプかどうか、素材による丈夫さや軽さなど様々な違いがあり、その傘がどのような傘であるかを決めている最も大きな要素です。英語では「ribs(親骨)」または「frame(全体)」と呼ばれています。
大分類 | 小分類 | 内容 | |
長傘 | 手開き式 | 手で傘を開くタイプ | |
ジャンプ式 | ボタンで傘が開くタイプ | ||
スライドショート式 | 中棒が2本以上ある長傘 | ||
折りたたみ傘 | 2段折傘 | 手開き式、ジャンプ式 | 2段折、中棒は2本 |
トップレス傘 | 手開き式、ジャンプ式 | 親骨2段折以上、中棒2本以上 | |
ミニ傘 | 手開き式、ジャンプ式 | 親骨3~5段折、中棒3~5本 |
明治時代の文明開化により導入された蝙蝠傘は、大正時代から金属の棒が使われて「ホワイト骨」として人気が広がりました。
しかし、戦時体制の進展に伴い金属の供給が途絶え、国の方針に従って木製の中棒が主流となりました。
戦後、再び金属の棒が使われるようになりましたが、1980年代以降は木製の中棒が再び注目されています。
中棒の問題として、開閉する際に骨とぶつかる箇所があります。これを和らげるため、多くの傘にはセロテープが貼られています。
このセロテープは中棒を保護するためのものであり、剥がさずに使用する必要があります。
もし剥がれてしまった場合は、注意深く剥がして再度貼り直す必要があります。
木製の中棒を使った傘では、傘の内部が長い間湿った状態になると、まれに内部が膨らんでしまい、「下ろくろ」(中棒の部分)がスムーズに動かなくなることがあります。しかし、傘を乾燥させると元の状態に戻ります。
もし膨らみの症状が出た場合は、「中棒の交換」が必要となることがあります。この状態にならないように、傘を使用した後はしっかりと陰干しを行いましょう。
傘の構造において、「親骨(おやぼね)」は生地を縫いつける際に使われる長い骨のことを指します。
「受骨(うけぼね)」は、下ろくろから親骨の中間部に向かって短い支持骨として配置され、傘を支える役割を果たします。これらの骨が接している部分を「ダボ」と呼びます。
骨の素材には、カーボンやグラスなどの繊維系と、従来のスチール系の二つの大きなタイプがあります。
最近では軽さを重視してカーボンがよく使われますが、スチールも魅力があります。スチールは見た目の質感や、生地を張ったときに適度な引っ張り力が生まれるため、美しいフォルムに仕上げることができる利点があります。どちらにも一長一短があります。
一般的な傘は親骨8本が多く、10本以上あるものを「多間傘(たけんがさ)」といいます。
開けるときに袖などを引っ掛けたり、骨が絡まったまま無理に力を入れて曲がることもあります。
開くときは軽く骨をさばいて生地をほぐしてから開くといいです。
歴史を紐解くと、傘の親骨は鯨骨が19世紀中頃まで使用されていました。それをスチール製の骨へ変えるのに貢献したのが、イギリスのサミュエル・フォックス(Fox Umbrellaの創設者)です。
現在の傘の骨の素材として、主流とされているのは鉄、グラスファイバー、カーボンファイバー、そしてアルミニウムです。
親骨と呼ばれる部分では、強い復元力を持つ鉄が多く使われており、全体の約7割を占めています。
その他には、グラスファイバーが2割、カーボンファイバーが約1割程度使われています。ただし、最近はカーボンファイバーが航空機の需要に取られてしまい、供給が不足している状況です。このため、約4割のカーボンファイバーと約6割のグラスファイバーを組み合わせた混合材の使用が増えてきました。この混合材は、カーボンファイバーの使用量を減らすことができるだけでなく、風を受けたときの過度なしなりも抑える効果があります。
また、アルミニウムは軽量な性質から、受骨や中棒などに頻繁に利用されています。
傘の中で、特に傘の重さに影響を与える重要な部分は「骨」です。これらの骨の素材は、従来のスチールと、カーボンファイバーやグラスファイバーなどの軽量な素材に大別されます。特に軽い傘を求める人が増えているため、軽量素材の需要は増加しています。
ただし、骨がしっかりとしたしなりを持つ反面、ジョイント(ダボ)や関連部分に負荷がかかり、壊れやすいこともあります。そのため、強度や耐久性よりも軽さを重視した開発が行われています。
カーボンファイバーは、炭素繊維から成る素材で、軽量でありながらグラスファイバーよりも頑丈です。釣竿などでも使われ、しなりの強さが特長です。このカーボンは、非常に軽量でありながら鉄の数倍もの強度を持つとされ、旅客機などでも利用されています。ただし、高価な素材でもあります。
カーボンは将来的に金属の代わりになる可能性があるとされており、エジソンなどが竹などから最初に電球フィラメントを作ったのが起源です。この素材は増えてきており、曲がり強度もありますが、一度折れてしまうと補強が難しく、多くの場合は傘の骨を交換する必要が出てきます。
これまで一般的で広く使われてきたのが、スチール骨です。スチールは古くから傘の骨に利用されており、カーボンなどに比べてやや重さがありますが、その代わりに生地をしっかりと引っ張る力があります。そのため、傘を開いた際の美しい張りや高級感が特長で、長い間職人傘の愛好家から支持を受けてきました。
また、強度があり、メンテナンスもしやすいのが大きな利点です。錆に注意すれば、何年もあるいは何十年も使用することができます。リサイクルのしやすさという点でもスチールなどの金属は向いているのではないでしょうか。
「スチール骨」は一般的に断面が「U」の形をしていますが、これは外部からの衝撃には意外に弱い特性を持っています。屋外で風に吹かれたり、傘をうっかり落として地面にぶつけたときに、折れたり曲がったりする可能性が高くなりますので、注意が必要です。しかし、補強や骨の交換によって修理が可能です。
折りたたみ式の傘など軽量にする必要があるものに良く使われています。非常に軽量ですが、強度に難点があり折れやすいです。
軽いですが折れやすくまた修理がしづらい素材です。骨の交換などによって修理します。
傘の骨の本数はさまざまで、一般的に8本が最も多く使われています。
近年人気のある多間傘では、最大で24本の骨を持つものもあります。一方、最小のものは4本のスクエア型傘です。多くの傘が偶数本数を持っていますが、中に5本や7本と本といった奇数本数のものもあります。奇数本数はデザインのバリエーションやコストの削減のための利点があります8本の傘は、十分な強度を保つために、16本や24本の傘よりも頑丈な素材が使用されています。
傘の軽量化が進んでいます。特に折りたたみのミニ傘は、全体で100g以下、骨だけでも50~60gという軽さのものがあります。
環境問題などの意識の高まりにより日常的に傘を持ち歩く人が増えているため、軽さは今の時代に合った要請です。
骨はサビに弱いので、使ったら陰干しが基本です。
また、最近は大判サイズの傘が増えているといわれてますが、すれ違う相手に傘の先が当たらないように注意が必要です。
そして開くときは骨の負担を減らすために2、3回軽く振って生地をほぐすこともコツです。
明治10年頃より洋傘骨の生産が東京で始まる。
明治15年頃から国産用傘の輸出が行われるようになり、20年頃に盛んになる。
大正3年 欧州大戦により洋傘骨材料の輸入が途絶えたため、硬鋼線焼入技術の研究が盛んになる
昭和9年 二段式折りたたみ傘発売
昭和12年 スウエーデン製五四骨の輸入停止。代替品として特殊磨帯鋼の研究がおこなわれる
昭和19年 洋傘骨業者の大半が軍需工場の下請けとなる
昭和21年 ジュラルミン製の中棒、手元が使われる
昭和30年 折りたたみ傘の改良型が続出
昭和31年 スプリング式折りたたみ傘が特許取得
昭和35年 洋傘骨(長骨)のJIS規格制定
昭和39年頃 ジャンプ傘が普及し始める
昭和40年頃 コンパクト型、3段式ミニ型洋傘が流行の兆し
昭和41年 婦人用3段式折りたたみ傘人気
昭和49年 Aジャンプ傘の人気高まる
昭和55年 トップレスミニ傘流行の兆し
昭和58年 ハイテク新素材洋傘骨開発の幕開け
1889〜92年(明治22〜25年)頃、材料も含めた洋傘の純国産化が実現しました。
そのころから庶民にも手の届く安価なものが市中に出回り始めました。
また、明治後期にかけては上海や香港など隣国の大都市への主要輸出品目にも名を連ねるようになりました。
大正時代に入ると、洋傘は庶民の間でも、実用面だけでなく、ファッションアイテムとしても注目されるようになりました。
当時流行の先端を走っていたモガ(モダン・ガール)の定番アイテムはショールと洋傘でした。明治から婦人の外出時の必需品となっていたパラソルも、派手な刺繍入りのものや友禅加工のものなどが登場してきました。
昭和になると、レース張りのパラソルがヒットしたり、レース人気が急落し、代わりに晴雨兼用傘が流行るなど、トレンドが二転三転し、それによってオシャレ心を大いに刺激したとのことです。
洋傘の製造は戦時中に中断を余儀なくされましたが、戦後はすぐに復興し、急速な成長を遂げることとなりました。
最初に注目されたのは、折りたたみ傘でした。戦前には一部の欧州製品が市場に入ってきたものの、広く普及するには至りませんでした。
そこで、1949年頃から一部の企業が新しい傘の開発に取り組みました。彼らはドイツからの折りたたみ骨をモデルにし、真鍮製のパイプを使って中棒をスライドさせる仕組みを開発し、商品化しました。
1951年頃には、ホック式の改良タイプが登場しました。この傘では親骨に溝地金を使用し、より簡単に開閉できるようになりました。この時点で、折りたたみ傘の基本形が確立されました。
そして、1954年にはスプリング式の折りたたみ骨が発明されました。これは各骨にスプリングを組み込んで、簡単な操作で開閉できるようにしたものです。さらに、新しい素材であるナイロン生地が採用され、防水性が向上し、低価格な折りたたみ傘が登場しました。
これら新しい骨と生地を使った折りたたみ傘は、使い勝手の良さから急速に人気を集め、折りたたみ傘のブームが到来しました。後には国産のポリエステル生地を使用したモデルも登場し、普及が加速されました。
こうして、洋傘は新たな時代を迎え、全盛期を迎えることとなりました。
1965年(昭和40年)、コンパクト傘が登場しました。これは、従来の二段式中棒を三段式に改良し、ハンドルを省いたタイプの傘です。
たたむとハンドバッグにスムーズに収納できる小型サイズで、特に女性に支持され、すぐに人気アイテムとなりました。
同じ時期に三段折りのミニ傘も登場し、一部でアルミ合金を使用した中棒や骨が導入され、小型軽量化が進んでいきました。
同時に、男性の間でジャンプ傘も人気を広げました。かつては戦前に一部で流通しており、戦後も輸出向けに生産されていたジャンプ傘が、1960年に国内市場向けに販売が始まり、数年の間にトレンドとなりました。
こうしてみると、昭和時代の洋傘の歴史は、傘の骨の進化とも言えるのではないでしょうか。各企業の熱意ある開発によって、大小さまざまな革新が生み出されました。
傘の骨にも開発に係るいろいろな歴史があり、そこから生まれてきた数多くの種類があります。
傘それぞれの用途や目的、特徴に合わせて骨も組み合わせています。
今回をきっかけに、傘を購入するときに骨についても考えてみてはいかがでしょうか。きっとコレというお気に入りの傘に近づくことができると思います。
日本洋傘歴史と名鑑(昭和25年)今村良之祐
洋傘ショールの歴史(昭和43年)大阪洋傘ショール商工協同組合
東京洋傘産業史(昭和54年)東京都洋傘ショール商工協同組合
日本洋傘骨工業組合連合会 三十年のあゆみ(昭和63年)洋傘タイムス 編