2014年の香港反政府デモは、香港で行われた民主化を求めるデモ活動のことです。
きっかけは中国の全人代(全国人民代表大会の略、中国の最高権力機関で立法権を持つ)が行政長官の選挙方法を決める草案を可決したことで、民主派の立候補者を排除する内容でした。
それに抗議するため、数万人の学生や市民が繁華街の銅鑼湾・金鐘・旺角などを占拠しました。
デモ参加者は警察の催涙弾や催涙スプレーに対抗するために雨傘を使いました。その様子からイギリスのメディアはこのデモを「雨傘革命」「雨傘運動」と呼んで、世界中のメディアでも使われるようになりました。
2019年6月(水革命:雨傘運動では無い)の香港のデモの画像
学生たちは「真の普通選挙を求める」と訴えました。市民も学生たちに賛同し、ピケやバリケードの作成には建設現場のプロたちも協力しました。
政府との対話も試みられましたが、結果的に強制排除されてしまいました。
しかし、このデモによって中国政府の一方的な弾圧や排除の姿が世界に報道され、中国政府の評判が悪くなりました。
乱世備忘 僕らの雨傘運動
2014年に香港で起こった「雨傘運動」の一部始終を、運動に参加した若者たちの視点から記録したドキュメンタリー。17年の山形国際ドキュメンタリー映画祭「アジア千波万波」部門で小川紳介賞を受賞。…
2018年公開。2014年、香港で起こった雨傘運動の模様を記録したドキュメンタリー。
民主的な選挙を求めて、数万人の若者が香港の金融街を占拠。鎮圧しようとする警官隊に雨傘で抵抗した。
当時27歳のチャン・ジーウンもその輪に加わり、若者たちの姿をカメラで追った。チャン・ジーウンは、本作が長編監督デビューとなる香港の新鋭。
ウォール・ストリート・ジャーナル 香港の「雨傘革命」 かつて傘は融和の象徴
https://jp.wsj.com/articles/SB11102303130114484576704580187784156016668
ウォールストリートジャーナルの記事によると
香港では、中国政府が2017年の行政長官選挙で民主派の立候補を制限するという決定を下しました。これに対して、香港の若者たちは傘を広げて抗議の意思を表明しています。面白いことに、米国の研究者の1人が「傘」がかつて融和の象徴だったことを指摘しています。
エドワード・H・ミラー氏というノースイースタン大学の研究者は、1930年代からケネディやニクソン大統領の時代まで、傘を使うことが政治的な融和の姿勢を示すものだったと言っています。彼はウォール・ストリート・ジャーナルのインタビューで、「香港では逆になっているようだ。傘は強さや抵抗の象徴となっている」と述べました。
グラフィックデザイナーたちはこの抗議活動を象徴するロゴを作成し、インターネット上では「アンブレラレボリューション」というハッシュタグや「アンブレラムーブメント」という表現で活発な議論が交わされました。
ミラー氏によると、「アンブレラムーブメント」のルーツは1938年の欧州まで遡ることができると指摘されています。
当時、ドイツのヒトラーが宣戦布告を警告していた中で、当時のイギリス首相であるネビル・チェンバレンはドイツとの融和を目指し、国民の怒りを買う出来事がありました。チェンバレン首相は常に傘を持ち歩いていたことで知られており、傘の象徴は「チェンバレン首相の思い出を思い起こさせる」と同時に融和を象徴するものとなったのです。
1950年代までに、アメリカでは保守派が「傘を広げる」という行動で抗議するようになりました。
ミラー氏によれば、このシンボルは「妥協する政治家を攻撃する極右勢力が使用するもの」とされ、ケネディ大統領もその対象になった可能性があると言われています。後に「アンブレラマン(雨傘男)」として知られる保守派の男性、ルイス・スティーブン・ウイットは、ケネディ大統領のリムジンが通り過ぎる際に黒い傘をさげていました。この行動については、彼がケネディ政権の核軍縮政策に抗議の意思を示したと解釈されることもあります。
傘の象徴性に関して、ミラー氏はブログの中でニクソン元大統領の出来事にも触れています。ニクソン氏は1972年に中国を歴史的な訪問した後、学生たちは大統領が「共産党独裁国家の指導者と会うことで『屈服』した」として、傘を持って抗議しました。ただし、ミラー氏が触れていないのは、ニクソン氏自身も中国市民からもらった緑のシルク傘を持ち帰っていたことです。
※アンブレラマン(umbrella man)はチェンバレン首相と ケネディ大統領暗殺事件に居合わせた不審な人物ルイス・スティーブン・ウイットの2つをさす言葉です。