江戸時代中期の江戸(東京)吉原や日本橋で躍動する蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)を題材にしたNHKの大河ドラマが始まりました。
江戸幕府が始まってから150年以上も経って世は天下泰平、文化隆盛で100万人都市となった江戸の町が舞台となりますが、当時の様子はどうだったのでしょうか?
傘全集ですので傘を中心に見ていこうと思います。
大河ドラマ「べらぼうめ」 江戸の町で傘のように花開いた文化について
大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺〜」の背景は?
江戸時代の和傘の歴史と文化
和傘の起源と普及
傘は中国から伝来し、平安時代には宮廷で使用されていましたが、江戸時代になると庶民にも普及しました。
この時期、和傘は雨具としてだけでなく日傘としても用いられ、町人文化の発展とともにファッション性やステータスシンボルの役割も担うようになります。
和傘の種類
傘は、用途に応じて異なるサイズやデザインがありました。日差しを防ぐためのものは軽めで大きく、雨用のものは撥水性を重視しました。
蛇の目傘
白黒や赤黒の同心円模様が特徴で、庶民や町民の間で防雨用として広く使われました。
番傘
簡素で丈夫な作りが特徴。広げると大きく、実用性が高く、町人や商人に愛用されました。
日傘
軽量で装飾性が高い傘で、特に女性の間で人気がありました。
舞傘
舞踊や演劇で使われる装飾性の高い傘。芸術的な役割を持ちました。
和傘の製造技術
和傘は竹骨と和紙を使用し、以下のような特徴がありました
和紙:油や柿渋で防水加工され、耐久性を高めました。
分業生産:江戸時代後期には製造工程が分業化され、職人たちの高い技術が競われました。
和傘産業の発展
傘は地域ごとに特色が生まれ、特に大阪や江戸(東京)で生産が盛んでした。
使用人や商店での貸出用としての需要も高く、貸出傘に番号を記載した「番傘」や「問屋傘」と呼ばれる文化が生まれました。
また下級武士の内職として奨励もされていました。
傘の文化的役割
和傘は実用品であると同時に、ファッションアイテムや装飾品としても用いられ、江戸の町人文化を象徴しました。
浮世絵にも描かれるなど、江戸時代の生活を彩る重要な存在でした。
洋傘の記録
文化元年(1804年)には、長崎に入港した唐船の品目に「黄どんす傘一本」と記され、これは洋傘に関する最古の記録とされています。
当時の衣服
庶民(町人・農民など)
男性
仕事着:木綿(もめん)や麻(あさ)で作られた「着物」が一般的でした。動きやすいように袖を短めにしたり、丈を膝まで巻き上げたりすることもありました。
普段着:木綿の単衣(ひとえ)や、藍染(あいぞめ)で染められたものが主流でした。庶民には豪華な絹織物は禁じられていたため、シンプルで実用的なデザインが中心です。
外出時:「羽織」(はおり)や「半纏」(はんてん)を羽織ることが一般的でした。
女性
普段着:木綿や絹の着物。庶民でも小紋(こもん)や縞(しま)模様など、オシャレを楽しむ要素がありました。
髪型:女性は髪結いを依頼して髪を結い上げ、「笄(こうがい)」や「簪(かんざし)」などを飾りに使いました。
帯:幅の狭い「細帯」や「半幅帯」が一般的で、帯結びはシンプルなものでした。
武士階級
男性
武士は絹や高価な絣(かすり)の着物を身に着け、「袴(はかま)」をつけることが多かったです。儀礼の場では格式高い「直垂(ひたたれ)」や「裃(かみしも)」を着用しました。
女性
武家の女性は絹の美しい着物を着用し、刺繍や染めなどの豪華な装飾が施されたものもありました。
流行
浮世絵や黄表紙に描かれる町人の衣服には、粋(いき)な感性が反映され、茶屋や芝居などの社交の場で目立つ服装を競い合うこともありました。
特に、色合いや模様の「洒落」(しゃれ)が流行として注目されていました。
当時の服装のまとめ
江戸時代中期(1750年~1800年頃)の江戸の人々の衣服や傘については、当時の社会的な階級や季節、場面に応じてさまざまなバリエーションがありました。
この時期は町人文化が成熟し、服装や小物にも個性や流行が反映されています。
また、庶民はシンプルな素材とデザインを楽しむ一方、粋なセンスや流行を追う文化が根付いていました。
当時の傘を中心とした服装
鈴木春信 雪中相合傘


江戸時代中期末ごろの流行の最先端の衣装。男は黒い衣装で長羽織に赤のポイント、女は白の振袖の衣装で帯は黒地にストライプ。
喜多村よせ本 近世流行商人尽詞 喜多村節信:著

大きな傘の下で鐘をたたいて歌い踊る飴売りの絵が5種類。これらの絵のように大傘と面白い踊りにつられて子供が集まってくるそうです。そのころの物売りの様子が思い浮かびますね。
飛脚は傘をさしながら走ってモノを届けていたのですね。
米饅頭始 著者:北尾政演

下級武士の内職「傘張り」で着流し姿に前掛けを付けています。手前には蛇の目傘、奥で開いているのは番傘です。
風俗東之錦 鳥居清長

武家における夏の日の少年の若君と、母一行の外出です。侍女が母親に傘をさしかけています。透け感のある黒の羽織が見て取れます。
鳥居清長の描く長身の美人像は天明のビーナスと呼ばれています。
重三郎の関係者・ゆかりのあった人
蔦屋重三郎が見出したアーティスト
アーティスト名や作品名のネーミングセンスがいいですね。
浮世絵師 北尾重政(きたお しげまさ)
初期より蔦屋重三郎の出版事業を支えた北尾派の祖
浮世絵師 喜多川歌麿(きたがわ うたまろ)
蔦屋重三郎に寵愛されヒット作を連発した絵師
浮世絵師 葛飾北斎(かつしか ほくさい)
富嶽三十六景などで世界的に知られる絵師
戯作者 朋誠堂喜三二(ほうせいどう きさんじ)
黄表紙の発展に尽力した作家
戯作者・浮世絵師 恋川春町(こいかわ はるまち)
浮世絵・戯作・狂歌と多芸多才なアーティスト
狂歌師 太田南畝(おおた なんぼ)
天明期を代表する狂歌師
戯作者・浮世絵師 山東京伝(さんとう きょうでん)
黄表紙、洒落本の第一人者
戯作者 十返舎一九(じっぺんしゃ いっく)
大ベストセラー東海道中膝栗毛を執筆
戯作者 曲亭馬琴(きょくてい ばきん)
28年をかけて南総里見八犬伝を著す
関係のある絵師の書いた傘の絵や当時の傘の描かれた浮世絵
栄松斎長喜(えいしょうさいちょうき)雪中美人と下男

富士唐麿/葛飾北斎 「潮来絶句集」

北尾重政 雅俗画源氏 (がぞくが げんじ)

山東京伝 作 ; 歌川豊国 画 濡燕子宿傘. 上,中,下編

山東京伝(北尾政演 浮世絵師のときの名) 風流近江八景・三井の晩鐘

喜多川歌麿「婦女人相十品 日傘をさす女」

喜多川歌麿 潮干のつと


ドラマの舞台となる吉原や日本橋界隈のゆかりの地
大河ドラマの前後に実際の場所を訪れてみてはいかがでしょうか。昔を忍ばす雰囲気が感じられるかもしれませんね。
吉原大門跡(よしわらおおもんあと)
吉原に入るための唯一の入り口でした。
こちらは現在
こちらは当時
西村重長 浮絵新吉原大門口
耕書堂跡(こうしょどうあと)
吉原大門のすぐ近くの人通りの多い玄関口に蔦屋重三郎がはじめての書店を構えた場所
見返り柳
吉原で遊んだ帰り道、この柳のあたりで名残惜しく後ろを振り返ったことから
正法寺(しょうほうじ)
蔦屋重三郎のお墓があるお寺。石碑がある。
日本橋 小伝馬町
べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館
蔦屋重三郎ゆかりの地である台東区に2025年2月にオープン
すみだ北斎美術館
また、台東区では1年ほどの期間限定で無料で乗車できる「蔦重ゆかりの地 循環バス」や観光拠点施設やお土産屋となる「江戸新吉原耕書堂」を開設します。
さらに「蔦重ゆかりの地 台東区」公式サイトと公式Xを開設したり、YouTubeでも発信して大盛り上がりです。

参考図書
これ1冊でわかる! 蔦屋重三郎と江戸文化: 元祖・敏腕プロデューサーの生涯と江戸のアーティストたちの謎を解き明かす 著者:伊藤賀一
江戸の衣装と暮らし解剖図鑑 著者:菊池ひと美
広報たいとう No.1362
大河ドラマ「光る君へ」の平安時代の傘事情はこちら