番傘
もともとは、紙が厚く、骨竹の削りが粗く、荏油(えのあぶら)を引いたもっとも安価な雨傘です。
番傘の持ち手は竹のままを使用し、素竹の良さをいかしたシンプルで少し太めの和傘です。
番傘の名前の由来は諸説ありますが、商家では店の者が使用し、大きな商店ではにわか雨のおりに貸すために屋号の印や、「子(ね)の十五番」などと番号を入れ、それが番傘とよばれたとも言われています。
また、18世紀初めのころに大坂の大黒屋が大黒天の印を押して「大黒番傘」を売り出し全国に広まりました。その後、印や判を入れた傘を「伴傘=番傘」となったとも言われています。
蛇の目傘(じゃのめがさ)
蛇の目傘は、17世紀終わりごろに番傘を改良して考案されました。
傘を開くと、紺や赤など基本となる色に白く太い円が広がり、この模様が蛇の目(へびの目)に見えるところから「蛇の目傘」の名が生まれました。
徳川8代将軍吉宗の時世に、傘に定紋をつけることが起こり、これが女性や通人の間で流行しました。
享保・元文(1716~41)のころから、柄を細くした軽い傘が好まれ、のちにはこれを細傘といって腰にさして歩きました。
蛇の目傘は、江戸時代に歌舞伎の小道具として使われた事をきっかけに、流行しました。
歌舞伎人気演目の一つ「助六由縁の江戸桜」の主人公、助六の小道具として、現在も使われています。
爪折傘(つまおれがさ、端折傘)つまおり、つまおりたてがさ
傘の骨の端を中へ折りまげた長柄の持傘です。公家の参内をはじめ、外出の際に、袋に納めて傘持ちの従者に持たせるのを例としました。
貴人に御付の者が後ろから差し掛ける傘で、人を傷つけないよう親骨(油紙を支える長い骨)の端が内側に折れ曲がっており(端折)、爪を折った(爪折 → 妻折)傘という意味です。
紅葉傘
女性用の持ちが華奢なつくりで、中央を青土佐紙、周囲は白い紙で蛇の目に張った雨傘です。
骨も柄も細めにつくり、開閉装置のからくりに糸飾りをしたのが特色で、貞享(1684~1688)ごろから江戸に流行し、初めは日傘にしたということです。