傘雑話集

天気予報と歴史

天気予報と歴史

天気予報の歴史だけではなく、天気予報と歴史の関係についても考えていきたいと思います。そもそも天気を予測する必要はどのような時期からあったのかという事を考えていきましょう。

人類が定住をせずに狩猟を軸とした生活を営んでいた時代、天気を予測することはそれほど重要な要素ではなかったと考えられます。というのも、基本的に狩場のそばで生活をしていたわけですから、雨が降ったら狩りをしない、もしくは雨に紛れて雨の日だけ狩りをするなどすれは良いだけだからです。明日雨が降りそうだから準備をしておこう、雨が降ってしまったから準備が無駄になったという事はあまり関係なく、ただ雨天順延程度の話でしかなかったはずだからです。

ところが人類が定住をするようになってから狩りに行くとなると話は変わってきます。欲しい天候がある場合、住居から狩場に移動している際に天候が変わってしまうため、効率を上げるためにはどうしても確率の高い予測が必要になってきます。農耕生活においても狩りにおいても、人類は四季と気候、天気について学習していく必要が出てきたわけです。

また、人類の負の側面でもある戦争においても天候の予測は重要な要素です。戦争の歴史の中で天候がその決着に重大な結果を及ぼした戦いは枚挙にいとまがありません。当然のことですが、天気の予測情報というものは重要な軍事機密ですから、人類が戦争をするようになってから、この天気予報の精度を上げる努力をひたすらにし続けて現代に至るわけです。

ちなみに、天気予報に関して紀元前に自分がいる地点の1日後の天気を100%予想できる人がいたとして、どれほどの意味があると思われますか?

実のところあまり意味はありません。

というのも、天気の予報にとって一番重要なのは出来るだけ正しい情報を多くの人が受け取って活用する事だからです。情報伝達が対して発達していない紀元前の段階では天気か正しくわかったとしてもあまり意味はないのです。

また、天気は西から東へ伝播していくという事が分かってきたとても、それを伝える速度が天気の速度を下回っていては、やはり意味がないことになります。現代においては、大阪で雨が降っていて、そのあと名古屋に移動すれば「これから雨が来るぞ」と周りの人の役に立つことが出来ますが、それは電車のような速い動手段があるからなのです。そして、現代においてはそれらの速度を上回る通信技術というものがいろいろありますから、経験からくる天気予測ではなく、連鎖的な天気の移動を含んだ予報が可能になっています。

現代において天気予報は統計と観測と計測と計算などの複合要素で成り立っています。50年前には、地域の天気を予測することですら当たるかどうかという運要素だった天気予報ですが、現在はかなりの確度で小さい範囲の欲しい情報が得られるものとなっています。

まだまだ完全な情報は手に入らないために天気を完全に予測できるわけではありませんが、それでも現代の計測器の進歩はものすごいものがあるというわけですね。