盆踊りや民謡に関連している傘踊りは、全国各地に見られます。
様々な種類がありますのでいくつかその概要や由来などについて紹介します。
因幡の傘踊り
因幡の傘踊りは、鳥取県東部を中心に伝わる民俗芸能で、雨乞いや初盆供養のために行われる美しい行事です。
傘踊りでは、長い柄に100個の小さな鈴をつけた傘を使用します。
参加者たちは揃いの浴衣を身にまとい、手甲と脚半を装着し、凛々しく白い鉢巻とたすきを着用します。
そして、唄に合わせて傘を回転させながら振り回す勇壮な踊りが披露されます。
この因幡の傘踊りは昭和49年に鳥取県の無形民俗文化財に指定されました。
また、鳥取県では因幡の傘踊り以外にも金屋、津野、宇治、青谷駅前、貝田、新庄、西谷、水口、久能寺、山上、いわみなど、多くの地域で傘踊りが行われています。
これらの地域にもそれぞれ特色ある傘踊りが伝承されており、地域の個性が踊りを彩っています。
鳥取芸能アーカイブスHP:https://www.tottori-dentou.net/index.php?view=4860
梅中傘踊り
和歌山県紀美野町に伝わる踊りは、昭和62年に町指定の無形民俗文化財に指定されました。
この踊りには2つの由来があります。
一つは文政6年(1823年)の大干ばつによる百姓一揆が起こった際、高野山領小川庄の農民が一揆に加わらなかったため、高野山から褒められ、それを機に雨乞い踊りが踊られたと伝えられています。
もう一つは、古くからこの地域では田に引く水の取り合いでけんかが絶えなかったため、男女が同じ傘に入って踊りを踊ることで仲良くなれるよう願い、この傘踊りが始まったとも言われています。
これらの由来によって、紀美野町の踊りは地域の歴史と人々の生活に根ざした意味深い伝統が継承されてきました。町民にとって大切な文化であり、その重要性が昭和62年の指定によって確認されました。
和歌山県ふるさとアーカイブ
https://wave.pref.wakayama.lg.jp/bunka-archive/matsuri/kasaodori.html
大島傘踊り
笠岡市の祭りは、岡山県に伝わる伝統的な盆踊りであり、昭和51年には県指定の重要無形民俗文化財として認定されています。
この踊りは大島地区で行われており、新暦の8月14日の夜に大島中学校の校庭で踊られます。
参加者は2人1組となり、傘を刀に見立てて斬り合うように踊るのが特徴です。踊りは「大島音頭」と呼ばれる音楽に合わせて行われ、順に「出踊り」「忍び」「斬り合い」という三種類の踊りの型を踊ることが習慣となっています。
この踊りの由来は、戦国時代に大島の領主であった細川通董(みちただ)公の百回忌墓前祭が行われた際に起こったとされています。
当時、大島村から参列した遺臣たちが、武芸のはしばしを取り入れた供養踊りを奉納していました。
ところが、たまたま夕立があり、刀の代わりに雨傘を使用して踊ったことがこの踊りの起源とされています。
その後、この傘を使った独特の踊りが伝承され、大切な祭りとして現在も続いています。
笠岡市ホームページ:https://www.city.kasaoka.okayama.jp/soshiki/39/2450.html
海上傘踊り
兵庫県信温泉町に伝わる踊りは、因幡地方から伝来したものとされています。
徳川末期に山陰地方が大干ばつに見舞われた際、農民たちは雨を求めてさまざまな祈願を行いました。
その中で、老農夫である五郎作が三日三晩冠笠をまとい、狂い踊りながら悲願を立てたところ、満願の日に大雨が降り出し、飢饉から脱することができたと言われています。
この出来事以来、この踊りは盆の行事に欠かせないものとなり、長柄の絵模様の傘や踊りへと工夫と改良が加えられてきました。
現在でも、五穀豊穣と先祖の霊を慰めるための踊りとして、村の青少年たちによって大切に保存されています。
この踊りは信温泉町の文化的な遺産であり、地域の伝統を守るとともに、次世代へと継承されている貴重な行事です。
兵庫県新温泉町HP
https://www.town.shinonsen.hyogo.jp/page/?mode=detail&page_id=ea3c3955a4effc5fedf8fe71d17f83c6
菊傘踊り
福井県武生市の踊りには、「大太鼓・菊傘踊り」という伝統があります。
この中で歌われる「新武生音頭」と「武生名どころかぞえ唄」は、もともとは武生の芸者さんが太鼓・傘・三味線を使ってお座敷芸として客を楽しませたものでした。
しかし、その伝統は絶やさぬように守られ、地域を盛り上げるために引き継がれ、現在も踊り続けられています。
武生商工会議所青年部:https://takefu-yeg.jp/kikugasa
住吉踊り
大阪の住吉大社で行われる御田植神事には特別な踊りがあります。
歌い手は御幣を頭につけ、大きな傘を立て、傘の柄を打ちながら歌います。数人(元々は四人)の踊り手は縁に幕を垂らした菅笠をかぶり、口を白布で覆い、心の字を描くように飛び跳ねながら手にうちわを持ち踊ります。
江戸時代には僧や願人坊主(大道芸人)によって広まり、かっぽれ・万作踊りなどに影響を与えたとされています。
この踊りの起源は伝承によれば、神功皇后が無事に堺の浜に上陸された際に、地域の住民が踊った舞に由来すると言われています。
この踊りは神功皇后への祝福と歓迎の意味を持ち、住吉大社の御田植神事を彩る重要な要素として伝承されてきました。
住吉大社HP:https://www.sumiyoshitaisha.net/column/detail.php?seq=20
利永琉球傘踊り
鹿児島県指宿市の郷土芸能は、地区の祝典の際に踊られる踊りです。
昔、薩摩藩が琉球を支配していた頃、琉球の使節団が通過する際にこの踊りが行われ、その伝統が今に受け継がれています。
江戸時代には琉球使節団が薩摩を訪れる際に利永地区の人々は一行の姿に接する機会が多かったため、彼らの踊りを見てまねて作られたと言われています。
現在、沖縄に残る「上り口説(ぬぶいくどぅち)」という舞踊は、琉球が薩摩に支配されていた時代に使節団が琉球を出発して山川港に入港するまでの旅の様子を描いたものです。
利永琉球傘踊の源流はこの「上り口説」とされています。この踊りは利永地区の伝統として大切に守られ、地域の祝典などで見られる特別な芸能として続いています。
指宿まるごと博物館HP
https://www.city.ibusuki.lg.jp/marugoto/spot/%E5%88%A9%E6%B0%B8%E7%90%89%E7%90%83%E5%82%98%E8%B8%8A/
八木節
この民謡は群馬県と栃木県で作られたもので、もともとは江戸時代の終わりに新潟から群馬や栃木の宿場町に来て仕事をしていた女性が故郷を偲び歌った歌でした。
それが行き来する人々によって口伝えで広まり、明治時代には朝倉清三が盆踊りの歌として歌い始め、美声とリズムの良さから大変人気が出ました。
朝倉清三の弟子には、堀込源太、矢場勝、喜楽家の3人がいました。堀込源太は歌、矢場勝はそれまでの樽と笛と鉦の演奏に鼓と三味線を加え、喜楽家はそれまでの花笠の踊りに日傘、扇子、菅笠を使った踊りにアレンジしました。そして大正3年に「八木節」の曲名でレコードになり、大ヒットして全国に広まったと言われています。
この民謡は樽を叩く「チャカポコチャカポコ」という賑やかな伴奏で知られており、華やかな傘踊りや花笠踊り、手踊りが特徴です。傘には赤い渦巻の模様が入った「八木節傘」が使われます。
NHKアーカイブス:https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0004380045_00000
東京音頭
東京ヤクルトスワローズの応援で得点が入ったり試合に勝った時に、傘を上下させることは広く知られています。
この応援スタイルは1980年前後に始まり、できるだけ多くの人が応援しているように見せるために傘を使ったことが最初の理由でした。
東京音頭は、かつて南千住の東京スタジアムを本拠地としていた東京オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)が応援歌として使っていました。
この応援歌が後に東京ヤクルトスワローズに受け継がれ、傘を使った応援のシンボルとなりました。
東京ヤクルトスワローズの試合で、得点や勝利の瞬間に傘を振る光景は、球場の活気ある雰囲気を一層盛り上げる大切な伝統となっています。
琉球舞踊
・花風 雑踊り
雑踊りは、1879年の琉球処分により、琉球王朝が崩壊し、禄を失った舞踊家たちが街に出て、芝居小屋で民衆を相手に興行を行うようになって発展したものです。
その中でも特に花風は雑踊りの一種で、数ある琉球舞踊の中でも特に優れた演目とされています。
舞台では、沖縄からじ(髪型)を辻風に結び、紺地のかすりをウシンチー(着物の着方)にして着た女性が登場します。彼女は肩に花染めの手巾をかけ、藍紙で作られた日傘を手に持ち、白い足袋を履いて、下手から思いを込めて踊ります。
その姿はまるで絵画のようで、見る者の心をひきつける美しい踊りです。
沖縄県立総合教育センター:http://rca.open.ed.jp/city-2000/ryubu/explan/explan_03.html
・相合傘
「相合傘」は、相思相愛の男女が一本の傘に身を寄せ合う姿を描いた演目で、あふれる愛情を歌い表現しています。
・傘の鳩間節
鳩間島は、八重山西表の北方に位置する周囲4kmの小さな島です。この島の美しさを讃え、五穀豊穣を祈る踊りです。
・日傘
「日傘おどり」は、恋する乙女の素朴で美しい魅力や色香が感じられる踊りです。
この踊りでは、暑い夏でも風を通すことができる上布を使用し、沖縄独特の着付けである帯をしめないスタイルを採用しています。また、内側に巻いた紐に着物を差し込むだけのウシンチー姿で踊られます。その姿はまさに南国のさわやかな日差しのような魅力を持っています。
文化庁HP 琉球舞踊のすがた
https://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2011_12/series_01/series_01.html
まとめ
全国各地の「傘」がカギとなる踊りについて紹介しました。各地の様々な由来・歴史が踊りの背景にあることが判りました。
これらの他にもまだまだ傘を使った踊りがあると思います。ぜひご紹介をお願いします。
身近な道具でありながらファッションアイテムでもある傘、これからは傘に注目して踊りを見てみるのはいかがでしょうか。また新鮮な見え方があるかもしれません。
踊りと関連するものとして祭りがあります。傘と関連する祭りについては以下の記事をどうぞ。
各地で繰り広げられる「傘のお祭り」の魅力について
https://kasazenshu.acase.co.jp/umbrella/festival/