傘を解析する

洋傘の手元の変遷(流行)

洋傘の手元の変遷(流行)

書籍「日本洋傘歴史と名鑑」(昭和25年)には、洋傘業界がどのように推移したかについて詳しく書かれています。
今回は傘の部品のうちでも常に触れている「手元」にフォーカスして、過去(明治から昭和初期)にどのような流行や製品が現れたのかを時系列で紹介したいと思います。

舶来手元と国産手元の歴史

舶来手元国産手元
慶應年間 木製彫刻加工品12~15㎝太握りが流行

明治元~5年 鹿角も登場

明治7年 木製又は彫刻加工品に精巧な塗料をしたものが流行

明治10年 犬首製品に彫刻をしたものが流行

 

 

明治14年 ドイツ製・フランス製の水牛角手元で精巧を極めたものがみられる

イタリアのセルロイド製の手元で約30㎝の無装飾が登場

明治13~15年 イギリスのコーキ製の紐付き手元が登場

明治14年 ロシア製の紙張りの極細工の巧緻なものが登場

ガラス製品が登場する

明治17年 木製、犬首、水牛角に彫刻をしたものが流行

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治20~24年 棕梠竹を材料として趣味曲がりでずんどう、玉留めに銀環・金環とした長さは30㎝が流行。南洋産の自然木(コンク)を材料に銀環を付けたものが登場

 

 

 

 

明治22年 蝶貝細工の水牛製品、曲がり手元の流行

 

 

 

 

 

 

明治26年 陶器製、總模様入り、形は短く小さいもの、色は紫紺、七宝色、金銀箔を施す金属製品として銀を主材料として犬首、鴨首、鴨足玉握りなどを彫刻、曲がり10㎝前後

 

 

 

 

 

 

明治30年 極上品として曲りの浅いもので玉留めに幅広の銀環を施したものが登場

洋桜製品として皮に細工をして握りのところにサクランボウの彫刻をしたものが登場

 

明治元年 桜アラシ彫、楓、椿、山椒、山櫻、ハリ、などの彫刻や塗りものが登場

 

明治11~15年 象牙頭および鹿角の彫り物、柄の頭につがいの亀、つがいの猿、兎、果物などを浮彫り、象牙は無色不透明、曲りやずんどうだった

明治12~15年 アラシ彫は牛角、自然木ヤキ製などが流行、長さは12~15㎝

明治13年 中国への輸出品として竹製品に両端に漆を施し、曲りの先端に玉留めに銀環や龍首形などが作成

明治13~15年 黒檀に自然木、八造、さくら染、ツゲの竹型、モッコク、アカザ等が製作

※モッコクとは、江戸五木の一つでモチノキやマツと並び「庭木の王」

※アカザとは、アカザ科の一年草、茎は太く硬くなるため杖の材料に

明治16~19年 中国への輸出品として赤い珊瑚珠を材料に曲りは直角形、透明の珊瑚に銀細工を施す

明治18~20年 カナモト皮張、ツゲ彫、象牙彫、紋竹、黒水牛の黒竹形、長さ20㎝、曲りや直角形

明治15~21年 紫檀の銀象嵌入、竹製、檳榔樹、棕櫚、朱塗黒水牛、ツゲの竹彫などで12㎝くらいのズンドウ握り太

※紫檀とは、木材として利用するツルサイカチ属およびシタン属の樹木の総称。 ローズウッドとも呼ばれる

※檳榔樹とは、ヤシ科の樹木、種子は嗜好品として、噛みタバコに似た使われ方をする

※棕櫚とは、ヤシ目ヤシ科シュロ属の樹木の総称

※ツゲとは、ツゲ科ツゲ属の常緑低木。伝統的に細工物の材木となる

明治16年 名古屋で七宝製金銀を用いた蒔絵や塗七宝を施した美術的なもの

※蒔絵とは、表面に漆で文様を描き、金・銀などの金属粉や色粉を蒔(ま)きつけて付着させる技法

※七宝とは、主に金属の素地にガラス質の釉を焼きつけて装飾する技法や製品

明治16年 東京で水牛の銀象嵌張、象牙の芝山張り、黒檀の芝山張りが流行。趣味の高級品として黒牛の品や骨彫りが登場

明治15~20年 大阪では椿板の板彫り・彫刻、曲り15~18㎝の湾曲したものが流行

明治16年 骨製品が多量に生産、竹製品で曲りの極太いものや竹製品の棕梠型が登場

明治17年 漆塗式として砥ぎ出し青貝式が輸出品として製造。瑪瑙を材料とし、頂に用い12㎝くらいのところに銀細工を施し、握りのところに瑪瑙細工を付けたものが登場

※瑪瑙とは、微細な石英(クォーツ)の結晶が集まってできた石、メノウ

明治18年 鹿角總彫製品の極凝ったもの、握りのところに自然蟹の彫刻

明治19年 ニッケルメッキ製品が登場

明治20年 竹の曲り(本竹三段継儀)が登場、根元の曲り20㎝前後のもの。各種骨製品で動植物、竹、木、棕櫚などに模倣。セルロイド製品ができ、塗り、張り丸、ムク、管、形もの、など長さ12~15㎝色は橙色や淡黄色

明治21年 インドへの輸出として10㎝前後の彫刻又は木製品曲り、ズンドウがある。国内向けに籐製品、象牙彫、棕梠竹銀頭、竹、黒水牛頭、金天ハドメ、カリン留めなど

※籐とは、東南アジアのジャングルに生息するヤシ科の植物で200種以上ある植物の総称、ラタン

明治22年 竹、30㎝弱の直線形、36㎝の直角曲り、骨製竹型、骨製の撚り葛形

明治23年 中国輸出用として塗蒔絵の極彩色、15~18㎝の曲り。国内向けとして銀頭にサメ張り、金蒔絵極細形、長さ15㎝の木製品。大阪では黒檀製の20㎝前後の曲りP型手元の登場。東京と大阪でなし、椿、ユスの犬首形20㎝前後が大量の生産。ノツト製という極小型の握り無色のものが登場

明治25年 楓製鹿角形、ユスの犬首上向き、椿板犬首曲り、竹根、白ツゲ頭の染黒檀、長さは10㎝前後から曲がっている。本竹、自然竹、葡萄樹曲り、20㎝前後の曲り。棕梠竹曲り、蝶貝入棕梠竹曲り20㎝前後

明治26年 東京から佛子柑製、ムロンド樹の自然曲げ、またはズンドウ

※佛子柑とは、ミカン科ミカン属の一種で、果実の形が手指に似ており千手観音を思わせることから名がつく

明治27年 紫檀曲げ、椿曲り、赤樫、楓、20㎝強のもの

明治28年 アララギ曲げ、枝自然製、黒檀曲げ、欅曲げ、ムロマゲ、21~27㎝

※アララギとは、イチイ科イチイ属の常緑針葉樹。イチイ、アララギは古名

※ムロとは、ヒノキ科ビャクシン属の常緑針葉樹、針葉樹の中では最も重い幹比重

明治30年 枝自然、24㎝、同じく直角曲り

明治33年 東京で初めて皮張り手元(曲り)10㎝弱が登場

明治34年 20㎝強で硝子玉、石材玉、象牙銀玉、霞朱玉など、彩色を施したものあり、曲り30㎝、銀象嵌、銀張象嵌

明治35年 曲げ木彫刻として40㎝弱になるもの、細形に彫刻を施す、色彩は黒、紫檀色、鼠色、淡黄色

明治36年 接合式手元の登用、材料は骨、象牙、木製、黒檀、紫檀などを接合

明治35,6年頃 棕梠竹に蝶貝の細工物を施したものが流行、内地向け男物

※棕梠竹とは、中国南部・南西部が原産地、古典園芸植物として多品種ある

明治38年 象牙張式、黄蝶張式、接合式、白蝶貝張り、など、10㎝弱

明治40年 舶来模倣時代、木製品に骨やガラスの頭細工を付したもの、10㎝弱。斜め曲げ(直線と曲げの中間)に金、銀などの細工をしたもの、頭には装飾をしてない

明治40年頃 紳士物は棕梠竹の木ブチのラッパ付、婦人物はネヂの木の延べの一文字や大上りが流行

※ネジキとは、ツツジ科の落葉樹、成長に伴って螺旋状にねじれることから名がつく

明治44,5年頃 黒檀の手元に中棒を継いで蝶貝の細工をしたものが流行、長さは約50㎝手元の握り中棒の大きさ、太さは1.5㎝程

※黒檀とは、カキノキ科カキノキ属の熱帯性常緑高木の数種の総称、非常に重く硬い木

※蝶貝とは、白蝶貝などの別名、殻はボタンや工芸品の材料になる

大正2年 尺二式直線形のものに草花を書き、又は彫刻をする、握り太、六角又は四角、丸型が登場

大正3年 握り手に変化が見られ、各種の細工や加工が入念にされる

大正4年 頭に彫刻をしたもの、木版、象牙などに彫刻や蒔書をする

女性物は大正10年頃まで非常に売れ行きが良かった

手元は時間が経過するほどに短くなってきた。

大正7,8年頃 ズンドの流行

大正中期 長さ21~30㎝弱、木製品が多数、紫檀、黒檀、タガヤサン。大正12年以降は手元がだんだん短くなっている。合成樹脂、透明、セルロイド製品、合成金製、ジュラルミン、黄銅製、メッキ製、ニューム製が流行

※タガヤサンとは、マメ科ジャケツイバラ亜科の広葉樹。東南アジア原産、木材は硬く、耐久性がある。

昭和5,6年頃 学生男物用として棕梠竹の中棒継のものがとてもよく売れた

昭和6,7年頃 セルロイドちょい曲り長さ約12㎝のものでクサリ付きや紐付きが流行する

※セルロイドとは、世界初の高分子プラスチック。象牙の代替品として開発され、20世紀前半には生活用品等に多く使われる

昭和の初期 「リス」という樹脂製品で新興製品として大いに用いられた。

昭和14,5年頃 軽合金製が流行する。

※軽合金とは、鋼より軽い合金のこと、アルミニウム、チタンなど

太平洋戦争の直前までの手元の歴史について書かれていました。この頃には様々な材料と趣向を凝らした手元があったようです。
レトロやリバイバルではありませんが、現在にも通じるような手元があればリニューアルした傘として見てみたいものですね。ただし象牙のように今では材料を入手することが難しいものもありますし、技術が途絶えてしまったものもあるかもしれませんね。

参考図書:昭和18年出版 今村僚乃右著「洋傘起源と歴史」