歌舞伎や能、狂言、ミュージカルなど舞台を鑑賞する芸能の中にも傘をフューチャーした演目がいろいろとあります。ここでは引き続き「傘」を中心に代表的な演目を幕ごとに紹介します。
1.歌舞伎より 第1幕・色彩間苅豆 かさね
江戸時代に生まれた日本の伝統的な芝居である歌舞伎は、傘を小道具として効果的に使う演目がたくさんあります。
第1幕・色彩間苅豆 かさね
物語は、奥女中のかさねと浪人の与右衛門が木下川堤に向かい、心中をしようとします。夏の夜で雨が降ってきます。与右衛門は悪い人物で、かさねの母と関係を持ち、夫である助を鎌で殺しました。
すると偶然、その鎌が助の亡骸に刺さって流れてきます。助の怨みにより、かさねの顔が一瞬にして恐ろしい表情になります。そのため与右衛門は恐ろしい因果でかさねを鎌で殺してしまいます。
傘は物語の中で立ち回りの場面など重要な役割を果たします。傘を通して鎌で刺される場面が描かれます。このシーンでは、傘の存在によってかさねの存在が強調され、物語のクライマックスとも言える場面です。
第2幕・忍夜恋曲者~将門
「忍夜恋曲物」は市村座で天保7年(1836)初演の歌舞伎です。
傾城如月、実は将門の娘 滝夜叉姫が大宅太郎光国に近づき、色仕掛けで味方にしようとしますが、見破られて妖術で闘うという物語です。物語は荒れ果てた将門の御所で始まります。
「面明かり」という古風な照明に照らされた花魁姿で蛇の目傘を差し、流れ出る煙と共にセリ上がってくる滝夜叉姫の登場の場面、春雨の中で傘をさして妖しく登場するというシーンが傘の見所です。
第3幕・雨の五郎
春の雨の夜、曽我五郎という主人公が蛇の目の傘をさしながら大磯の遊女、化粧坂の少将からの恋文を手に持って廓に向かっています。五郎と少将は非常に親しい関係であり、五郎は父の仇を討つという使命を胸に秘めています。
この舞踊は、有名な仇討ち物語の主人公である曽我五郎を題材にした長唄です。五郎は若くて情熱的な荒若衆の一員でありながら、廓へ通う華やかさと色気も持ち合わせている人物です。舞踊には魅力的な演出や壮大な立ち回りなど、見どころが満載で、人気があります。
物語の冒頭では、春の雨が降る中、五郎が傘を差しながら恋人からの手紙を読む場面が印象的です。このシーンは舞踊のハイライトともいえる素晴らしい場面となっています。
第4幕・鷺娘
歌舞伎舞踊の古典的名作で、一人の女形役者が次々と衣装を変えて様々な女性を演じる人気の演目です。水辺にたたずむ鷺の精を通して、恋に思い悩む女性とその苦しむ姿、そして喜びを描いた作品で、踊りや衣装替えなどいろいろな場面で傘が大活躍します。
第5幕・助六由縁江戸桜
助六は、市川團十郎家の歌舞伎の代表的な演目であり、古典歌舞伎の中でも特に有名です。
江戸時代の粋で洗練された文化を伝え、日本人の美意識に大きな影響を与えました。
助六の現在の姿は、寛延2年(1749年)に中村座で上演された「男文字曽我物語」で確立されました。その時、二代目市川海老蔵(二代目市川團十郎)が33年ぶりに助六を演じました。
物語では、曽我五郎時致が花川戸の助六という侠客に扮し、源氏の宝刀である友切丸を見つけるために吉原に入ります。助六は三浦屋の美女である揚巻と恋に落ち、吉原で豪遊する老人である意休がその刀を持っていることを知り、奪い返すことを目指します。
助六は黒羽二重の小袖に紫の縮緬の鉢巻きをし、蛇の目傘を手に持って登場します。舞台の中央で傘を持ちながら長い踊りを披露し、傘を開いて見せびらかす場面など、傘が活躍するシーンがあります。この演目によって、傘は歌舞伎の重要な小道具として確かな地位を築いたと言われています。
第6幕・仮名手本忠臣蔵
「義太夫狂言」は、赤穂浪士による仇討ちを描いた歌舞伎の一つで、古典歌舞伎の代表的な演目です。この演目では、義太夫節という音楽が使われ、物語が進行していきます。
物語の舞台は南北朝時代の騒乱を背景にした「太平記」に置かれています。登場人物の名前は「太平記」のキャラクターに置き換えられています。例えば、史実の吉良上野介は高師直となり、浅野内匠頭は塩冶判官として登場します。また、大石内蔵助は大星由良之助という名前で活躍します。
物語は全11段で構成されており、高師直が塩冶判官の妻である顔世御前に恋心を抱くところから始まり、由良之助を含む四十七士が復讐を果たすまでが描かれています。
傘に関しては、五段目の山崎街道の場で斧定九郎が蛇の目傘を効果的に使用します。斧定九郎は塩冶判官家の家臣で、塩冶家が滅ぼされた後、山賊となります。雨の夜、彼は父である与市兵衛を殺して金を奪います。
この役は端役ですが、初代中村仲蔵が明和3年に工夫を凝らした演技を行い、白塗りの顔に黒羽織の単衣、赤い帯を締めた姿で登場しました。彼は水をかぶり、水桶から取り出したばかりの蛇の目傘を半開きにして顔を隠し、舞台中央の与市兵衛に声をかけながら花道を駆け抜け、与市兵衛の肩を叩いて傘を開き、見栄を切るという演出を行いました。この印象的な演出は観客に強烈な印象を与え、五段目を人気のある演目にしました。
第7幕・青砥稿花紅彩画
「白浪物」とは、歌舞伎で盗賊を主人公とした演目の総称です。その中でも「白浪五人男」として知られる「青砥稿花紅彩画」は、文久2年(1862)に江戸市村座で初演された作品です。
この歌舞伎では、日本駄右衛門、弁天小僧菊之助、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸といった5人の盗賊たちが活躍します。さらに、美しい武家の娘が実はイケメン強盗だったというおもしろい展開もあります。
特に注目すべきは、2幕目の第3場「稲瀬川勢揃いの場」です。この場面では、5人の盗賊たちが堂々と花道から登場し、追手に立ち向かいます。彼らは手に「志らなみ」と書かれた番傘を持ち、七五調の名乗りを連ねながら見得を切ります。その名乗りは、歌舞伎の美しいスタイルとして完成されており、番傘が重要な役割を果たしています。
第8幕・双蝶々曲輪日記
第9幕・加賀見山再岩藤
加賀百万石のお家騒動を題材とした『鏡山旧錦絵』では、召使いのお初が主人の中老尾上を自害へと追いやった局岩藤を討ち、その功により二代目尾上に取り立てられます。
この作品はその後日譚で、野晒しにされていた岩藤の骨が寄せ集まって岩藤の亡霊が現れ、再び恨みを晴らそうとすることから、〝骨寄せの岩藤(こつよせのいわふじ)〟と通称されています。岩藤の満開の桜の中での舞台上の宙乗りや、草履打ち、鳥井又助の切腹など、怪談物としての見せ場と生世話の味とを巧みに絡ませた黙阿弥らしい趣向に富んだ作品です。
傘の登場は、岩藤が亡霊となって現れ、在りし日の局姿となり舞台上をフワリフワリと傘で浮遊し、見せ場となる宙乗りを披露するところになります。ぜひ最新の舞台装置などで非現実的な宙乗りを表現してもらえると傘もさらに映えるのではないでしょうか。
第10幕・桜姫東文章
第11幕・与話情浮名横節
この演目は、死んだと思われていた恋人たちが再会する、大人の恋の物語です。
伊豆屋の若旦那・与三郎が木更津でやくざの親分である赤間源左衛門の妾・お富と関係を深めます。しかし、その関係がバレてしまい、与三郎は全身に大けがを負い、キズだらけになります。最後には海に投げ込まれてしまいます。一方、お富も身を投げたものの、質店和泉屋の番頭・多左衛門に救われ、源氏店の妾宅に保護されます。しかし、命をとりとめた与三郎がならず者になって現れ、お富をゆする場面があるのが有名です。
この場面では、お富が下女を連れて湯帰りから傘をさして戻ってくる姿が印象的です。大人の恋と再会のドラマが織りなすこの作品には、舞台上での傘の使用も魅力の一つです。ぜひ、この傘のシーンをお楽しみください!
2.能・狂言より 第12幕・蟻通(ありどおし)
能は観阿弥・世阿弥で知られる世界最古の舞台芸術です。
主人公のほとんどが幽霊で、すでに完結した人生を物語る、不思議で幽玄な演劇です。
狂言は能と同時期に発生し、能と対になる形で笑いの世界を表しています。
第13幕・蟻通(ありどおし)
紀貫之は和歌山県の玉津島明神に向かう途中、大阪・泉佐野市のあたりで大雨に見舞われます。雨の中、乗っていた馬も倒れてしまいます。その時、傘を差し、松明を持った老神職が現れます。神職はここが蟻通明神の聖域であり、下馬しなかったことを咎めます。
この場面では傘と松明によって、雨の降りしきる夜の闇が一層強調されます。神職は貫之に明神への歌を捧げるように勧めます。貫之は「雨雲の立ち重なる夜半なれば、ありとほしとも思うべきかは」と詠みます。この歌は「蟻通」と「有りと星」をかけて、社殿に気づかなかったことを釈明するものです。神職は喜び、馬も元気に立ち上がります。そして、神職は実は蟻通明神だったのです。
第13幕・末広かり
ある金持ちの人が、目上の人に「末広がり」というものを贈るために、家来の太郎冠者に都へ買いに行くよう頼みます。都に到着した冠者は、末広がりが何か、どこで手に入るのかを聞かずに出かけてしまいました。
その結果、困った冠者は物売りを真似て、「末広がりを買おう」と叫び歩きます。すると、すっぱ(詐欺師)が現れ、巧みな言葉で古い傘を売りつけます。冠者は自分が主人の注文した品物を手に入れたと思い込み、喜びます。帰宅して自慢すると、主人は驚いて冠者を追い出します。冠者は困り果て、すっぱから教えられた特別な囃し物を歌いながら足で拍子を取ると、主人もその場に引き込まれ、機嫌を取り戻します。
この話では、「末広がり」は実際には扇を指していますが、傘も同様の形をしているため、おめでたい時のお祝いによく使われます。
第14幕・小傘
第15幕・祐善
能のパロディの要素をいろいろと含む舞狂言です。
祐善は都で傘を作る職人でした。ある日、僧が五条の小路で雨宿りをしていると、そこに祐善の幽霊が現れました。幽霊の祐善はこの庵がかつて自分の住まいであり、傘を作っていた場所だったことを明かします。しかし、彼は日本一下手な傘作り職人で傘は一度使うとすぐに壊れるほど脆く、誰も買ってくれなくなり、祐善は人々に腹を立てておかしくなり、憤死してしまいます。
後半部分では祐善が悔恨の念を歌い舞い、僧も出家前は傘張として活動していたことを名乗り、僧の弔いによって成仏する様子が描かれています。
物語全体には傘に関連する言葉や表現がたくさん出てきます。これも傘張職人の世界観で舞台を満たすためでしょうか。